@article{oai:niimi-c.repo.nii.ac.jp:00001106, journal = {新見公立大学紀要, The bulletin of Niimi College}, month = {}, note = {P(論文), 南都法相宗興福寺の高僧であった玄賓(七三四~八一八)は、備中国(岡山県)に隠遁し、湯川寺を建立したことが知られている。玄賓が隠遁した地であるためか、備中国各地には玄賓に関する伝説が多数伝承されている。岡山県高梁市落合町近似には玄賓が草庵を結んで滞在したという伝承があり、その地には松林寺という寺院が建立され、「玄賓土仏」「玄賓の湯」などの玄賓に関する伝説が伝えられている。岡山県加賀郡吉備中央町上竹にも玄賓が草庵を結んで滞在したという伝承があり、「袈裟掛岩」「足跡石」「僧都川」などの玄賓に関する伝説が伝えられている。その他、備中国の玄賓僧都伝承は、寺院開基伝承や滞在地伝説のほかに、文物に関係するものにまで広がっていることがうかがえた。これまで、玄賓が隠遁した湯川寺は備中国哲多郡にあったと考えられてきたが、実際には「英賀郡」にあり、「哲多郡」には別の寺院を建立していた可能性があることを指摘した。}, pages = {1--10}, title = {備中国における玄賓僧都伝説の諸相 −哲多郡の意味するもの−}, volume = {38-2}, year = {2018} }