@article{oai:niimi-c.repo.nii.ac.jp:00001221, author = {髙月, 教惠}, journal = {新見公立大学紀要}, month = {Dec}, note = {昭和20年代の奈良女子大学附属幼稚園(以下、奈良女大附幼)の保育の実際は、「保育要領―幼児保育の手引きー」(文部省、昭和23年)を参考にして、幼児の生活に基づいて、戦前の教科的色彩の強い5項目を中心とした保育を見直し、附属校の特性と奈良の地域性を考慮して、正しい保育の方向性を求めて、昭和24年度試案保育計画(その基礎)(一)を作成し、その後月案を作成して、実践されていたと考えられる。さらに、昭和29(1954)年には、昭和24年度試案「保育計画」(その基礎)(一)と月案を反省検討して、幼児の生活経験を教育の視点から見直し、単元を中心にして秩序立て、組織化して『幼稚園の教育計画』として改訂されたと思われる。単元を中心にしたことについては、当時の主幹であった富永正がデューイの思想に傾倒していたこと、当時の奈良女子高等師範学校附属小学校(以下、奈良女高師附小)で実践されていた教育形態(しごと・けいこ・なかよし)に影響を受けて、幼小連携を見据えてのことと考えられる。}, pages = {11--18}, title = {昭和20年代の奈良女子大学附属幼稚園の保育の実際-試案「保育計画」、月案、『幼稚園の教育計画』を中心に-}, volume = {40}, year = {2019} }