@article{oai:niimi-c.repo.nii.ac.jp:00001357, author = {原田 信之}, journal = {新見公立大学紀要, The Bulletin of Niimi University}, month = {Dec}, note = {琉球文化圏北部地域にはシヌグ系・ウンジャミ系祭事が伝えられているが、祭事の内容・呼称は地域ごとに差があり不分明な点が多い。沖永良部島には「シニグ」「ウミリ」という祭事があったが、シニグは明治三年を最後に中止され、ウミリは昭和末年頃に廃絶した。沖永良部島には北山王の子で世之主(?~一四一六頃没)と称される人物が島を統治し、世之主生誕時にはすでにシニグが行われていたという伝承がある。その伝承が正しいとした場合、シニグの成立は少なくとも北山時代の十四世紀半ば頃まで遡る可能性がある。「初シニグ」は士族の「男子」の子弟が行うことから、琉球文化圏北部地域のシヌグと共通している。西原のウミリは「女性」を主とする祭事であったらしく、国頭のウミリは「ネィリヤー」(ニライカナイ)の神々を見送る神事だと伝承されていることから、ウミリは琉球文化圏北部地域のウンジャミと同系の祭事とみられる。シヌグ系・ウンジャミ系祭事の分布域は、北山文化圏とほぼ重なっている。また、沖永良部島のシニグ祭りの成立が十四世紀半ば頃まで遡るとした場合、その頃は北山統治下で中山の力は及んでいない。これらのことから、沖永良部島の「シニグ」「ウミリ」は、シヌグ系・ウンジャミ系祭事であり、シヌグ系・ウンジャミ系祭事は北山文化圏を中心に行われた北山系祭事であった可能性が高いと推定して良いように思われる。}, pages = {1--20}, title = {鹿児島県沖永良部島のシニグ・ウミリ伝承}, volume = {43}, year = {2022} }